【職員インタビュー:D先生】全ては生徒たちのため!パワフルな名脇役を目指します

北海道芸術高等学校グループ(以下、「芸高」と言う)に勤めて8年目のD先生。
札幌→福岡でトータル3年間担任として勤め、今は仁木本校での業務にあたっている。生徒たちと向き合う時間は減ったが、裏方として本校で奮励するD先生にお話を伺ってきた。

Q. まずは芸高に入職した経緯を教えてください。

異業種から飛び込んできましたよ。実家がラーメン屋でして。
暖簾分けした後に、独立して店を経営していました。ある程度多くの従業員を抱えた際に、人にものを伝える難しさを経験した反面、人にものを伝える楽しさも経験しました。

その辺りからですかね、大学の時に教員免許(保健体育と家庭科)を取得していたのもありますが、人と意思疎通を図るのが好きということが、教職への転職を考えはじめた理由かもしれません。話の中に方向性を見たり、逆に見せたりすることが楽しくて。
より多くの人と関わり、誰かの役に立ちたいという気持ちも大きくなっていきました。
結婚して子どもができた段階で、本気で考えましたよ。子どもに、ラーメン屋として、教員として、どちらの背中を見せようかと。その結果、教員を選んだわけです。

思い起こせば小学生の頃から「先生」に興味を持っていました。
私はガキ大将で、まわりに迷惑をかけるような子どもだったのです。でも小学2年生の時の担任が寛容で、悪さをしている私に対してとても優しく接してくれて、「君はまわりの人間を変えられるチカラがある」と言ってくれたのです。
今でも覚えているこの言葉が、人生を正しい方向に導いてくれたと思っています。

Q. 実際に教鞭をとってみていかがでしたか?

札幌サテライトキャンパスで2年間、高等学校になる前の福岡サテライトキャンパスで1年間の計3年間は担任を受け持ちました。
生徒たちと向き合うことは想像以上にやりがいがありましたよ!
接する際には、その子が何を求めていてどうしていきたいのか引き出せるような話し方を意識しました。また、生徒のチカラになりたいので聞き出すだけではなく、今後どのようにしていったら良いかのイチアドバイスもできるように心がけていました。

4年目からは現在にも至る本校勤めへ。
キャンパスでの3年間は生徒の成長を必死に考えてきましたが、本校では担任が持てません…。
担任になれない分、「芸高で1番、生徒と接したい気持ちが大きい!」と自負しています。

今は本校から、「自分の分もよろしくお願いします!」という気持ちで、現場で生徒と向き合っている先生方のサポートにまわっています。間接的でも生徒のためになると思って、本校での業務に励んでいますよ。

なお、毎年スクーリングの時のみ、直接生徒たちと関わっています。大切な過程ですので、私も気合いを入れて対応しています。

Q. スクーリングについて教えていただけますか?

はい、全国のキャンパスから生徒たちが集まって仁木本校で授業を受けることがスクーリングで、高校の単位習得に必須の過程です。芸高では4泊5日、ドミトリーに泊まり込んで集中して学びます。

私はこのスクーリングを任されており、授業の管理から、食事・ドミトリーの管理、夜の職員ミーティングまでを全うしています。
その中で、生徒たちと接する時間は楽しいですよ。なお、生徒たちの様子は必ず担任の先生に後日共有しています。

短い期間ですが、“ちゃん付け”で私の名前を呼んで懐いてくれる生徒たちもいます、嬉しいですよね。この生徒たちと触れ合える時間を大事にしていきたいと思います!

Q. その他、本校では様々な業務を担っているとお聞きしていますが?

理事長からは「人が嫌がることも率先してやってくれる」と言われたことがありますね。
なんでしょう、全国のキャンパスの教科書、教具、制服の発注や、システム運用の改善窓口を担当しているあたりですかね。
自分的には、できることを自分でやっているだけというかんじです。自分が担当することで、他の先生方がその他にチカラを注ぐことができ、ひいてはチーム力が上がるので。

システム運用の改善は、効率化の最たるものだと思います。
電子レポート、試験、単位、スクーリング出席状況など、瞬時に分かりやすく管理できるシステムを目指して、システム会社とやりとりをして改修を重ねています。

システムが改良され先生方の業務が減れば、生徒との時間をたくさん取れますよね、結局、全ては生徒たちのため、それが私の原動力ですね。

D先生の家族写真
D先生の家族写真

Q. 生徒愛がすごいですね、ご家庭でも子煩悩とお聞きしていますが?

子どもは3人いますよ。そうそう今年のGWに家族で桜並木のお散歩に行ったのですが、子猫の声が聞こえてきて、私がまっさきに河川敷きを下りて行きました。
するとダンボール箱にも入らず、まっさらに広げられた雑巾の上に、まだ乳飲み子の子猫が3匹転がっていたんです。気づいたら上着の中に無意識に詰め込んでいました(笑)。
家族も喜んで迎えてくれて、今年からは5人+3匹の総勢8人(匹?)の大家族になりました。

ちなみに子どもたちというか自分が幼い頃の話になりますが、私は0歳8ヶ月から小学校4年生まで水泳を習っていました。ジュニアオリンピックでは、200メートルの個人メドレーで北海道第2位、全国第8位になったことも。水泳を辞めた小学校5年生から大学までは硬式野球をやっていましたね。

そういった経験とガタイの良さもあって、まわりの先生方からは“フィジカルモンスター”と呼ばれています。悪い気はしないですよ、外見だけでなく、タフさやフットワークの軽さを評価されているということで(笑)。

これからも生徒たちのために、パワフルな名脇役を目指します!

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